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スタートアップ、ベンチャー界隈なら知っておきたいシリコンバレーの歴史や現状など

ベンチャー、スタートアップの聖地であるシリコンバレー。

Google、Microsoft、Facebook、Apple、Yahoo、Intel、Netflix、Tesla、Adobeなどそうそうたる企業が拠点を置いています。そのためシリコンバレーブランドはいまだにたくさんの人や企業を魅了して止みません。

ですが「名前はよく聞くけどシリコンバレーのことを実はあまり知らない」という方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そこで今回はシリコンバレーの歴史や現状などに関して調べてみました!

1 シリコンバレーとは?

シリコンバレー (Silicon Valley) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリアの南部のサンタクララバレーやその周辺地域の名称のこと。

実は「東京」のように特定の一箇所のみを指し示す通称ではなく、ある程度広い地域一帯のことを指します。

元々周辺は果樹園だったこのエリアですが、徐々に半導体産業が浸透していきました。シリコンバレー出身の誰もが知る「アップル」も、ジョブズが当時、周囲の果樹園でアルバイトしていることに由来しているという説もありますね。

「シリコンバレー」の名前の由来は、半導体メーカーがたくさんあったことと、その地形に由来します。半導体の主原料であるケイ素(Silicon)と渓谷(Valley)を組み合わせた造語なんです。

このシリコンバレーからはアップル、インテル、ナショナルセミコンダクター、Google、Facebook、Yahoo!、アドビシステムズ、シスコシステムズなどの企業が誕生し、IT企業の一大拠点として成長していきました。

2 シリコンバレーの名付け親

前述した「シリコンバレー」という造語は、実業家のラルフ・バーストとジャーナリストのドン・ホエフラーが提唱した言葉とされています。

ホエフラーが週刊紙「エレクトロニック・ニュース」で、このベイエリア地区の半導体産業の記事を連載するにあたり、そのタイトルに「シリコンバレー」という言葉を選んだのが初出なんだとか。この言葉自体はバーストが提案したそうです。

1971年1月11日の紙上で「Silicon Valley in the USA」という連載がスタートします。

3 スタンフォード大学の誕生

軍事産業で発展した経緯もあるこの地域。

科学・技術・工学・数学の学問領域を一括して扱うSTEM研究や、多くのベンチャーキャピタル、加えて国防総省の支援などがある独特な特性を保有した地域です。

その中でもスタンフォード大学は非常に重要な存在として認識されています。初期シリコンバレーの開発と発展を主導したのも実はこのスタンフォード大学だったんです。

3-1 スタンフォード大学の歴史

シリコンバレーは地域と大学の連帯により急速な発展を遂げたと言っても過言ではありません。

リーランド・スタンフォードにより1885年に誕生したスタンフォード大学。

スタンフォードは当時、食料品を経営していました。ゴールドラッシュで東部から来ていた鉱夫に対しての雑貨業を通して財を成し、大学を設立したとのこと。セントラルパシフィック鉄道を創業した実業家でもあります。

実はスタンフォードの息子は腸チフスを患い15才という若さで命を落としてしまいました。「息子のために何かできないか」と考え、1891年に所有地である牧場に開設したのが、後のスタンフォード大学なんです。

さらにこの頃の西海外は東部アメリカの植民地的な要素が強く残っており、西海岸の力はまだまだ強いとは言えませんでした。スタンフォード大学はまだまだ田舎の地方大学という位置づけ。

そのため卒業生は東海岸地域のMITやハーバード大学などへの流出が続いてしまっていました。

そこでスタンフォード大学の指導者たちは「西海岸の発展」に注力。この目標に向かって様々な施策を打ち出していきます。

この目標がきっかけとなり西海岸だけで自立できる、土着型の地方産業を打ち立てようという考えが発生。これが地域の企業の技術とスタンフォード大学の技術をマッチングさせる原動力になります。

「産学連携」を行うことでシリコンバレーの勢いは急速に増していきます。

3-2 シリコンバレーの父「フレデリック・ターマン」

1940年代から1950年代頃にかけてスタンフォード大学が急速に変化していきます。その成長のキーマンとなったのがフレデリック・ターマン

ターマンは特に博士課程の学生や博士号取得後の研究生を中心とした学生たちに起業を推奨しました。有名な例はターマンの教え子のヒューレットとパッカードの出会い。

この出会いをきっかけとし1939年にヒューレット・パッカードという会社が設立されます。ガレージ創業ののちになんとターマンがスタンフォード内に会社を移転させます。これにより学内の研究道具を自由に使えることが可能になり、研究と事業が促進されました。

今では大学に在籍しながら起業することは決して珍しくありませんが、当時は起業する場合は大学を去る必要があったため、このような例は非常に革新的でした。

4 第二次世界大戦とシリコンバレー

4-1世界大戦の開始

1941年、第2次世界大戦が始まります。

当初のアメリカ軍用航空機はドイツ軍にことごとく撃退されてしまっていました。その理由はドイツ軍には高機能なレーダーがあったため。このレーダーの解析をするための研究所「Harvard Radio Research Lab」がハーバード大学に作られます。

そのLabの指揮をとることになったのも、なんとターマン教授。

このLabの指揮のため西海岸から東海岸に移り、東海岸の構造や技術を研究。

アメリカ国防総省がハーバード大学やMIT、企業などに膨大な資金を提供し、その資金を活用することで大学や企業は研究開発を大規模に行うことができているという現状を知ります。

4-2 大戦終了後のスタンフォード

大戦終了後、スタンフォード大学に帰ったターマン教授はElectronics Research Labを使い、マイクロ波の研究を特化させました。

スタンフォード大学の研究開発力を高め続けたことで、1950年の朝鮮戦争時にはNSA、CIA、海軍、空軍の研究パートナーの中心となっていました。それにより莫大な研究開発費用を獲得できるまでに至ります。

4-3 東海岸での気づきがベースになった「スタンフォードリサーチパーク」

さらに東海岸での気付きをもとに「学生の起業促進、大学の知的財産権を起業する学生に移譲する」「自身含めスタンフォード大学の教授が関連企業の役員になる、アドバイスする」ということを掲げ、スタンフォード大学の技術を周辺の企業やスタートアップの育成に注力。

非常にたくさんの取り組みを行っていたスタンフォード大学の中でも特筆すべきは、新たに設立された企業に設備を提供する「スタンフォード・リサーチパーク」。大学のなんと4000ヘクタールにもおよぶ土地を先端企業を大学に誘致のために利用しました。

このリサーチパークは、戦後の成長期を逃すまいと多くの資金を必要としていたスタンフォード大学の「所有地を長期間リース」するというビジネスモデルでもありました。

もちろん企業にとっても事業に協力的な大学の土地の長期リースは魅力的であっため、GE、イーストマン・コダックなどの企業がこの仕組みを使用し始めます。

5 マイクロウェーブバレーからシリコンバレーへの発展

5-1 軍需産業からベンチャー、スタートアップ支援の充実

スタンフォード大学周辺には軍需産業に携わるマイクロ波関連企業が集まりました。これにより一大産業地となる「マイクロウェーブバレー」が形成されていきます。

そしてこの頃から、スタンフォード大学周辺にベンチャーやスタートアップ企業を支援するベンチャーキャピタルが誕生。どんどん起業を支援する仕組みも形作られていきます。

アジア、ラテンアメリカ、ポルトガル地域からのハイテク産業、製造業に従事する移民が多数流入し始めたのもこの時期です。

5-2 スタンフォード大学を中心とした「シリコンバレーブランド」の完成

スタンフォード大学が作り上げた仕組みを活用し、インテルに代表される半導体産業がどんどん進化します。これらの結果として、1966年から1977年にかけて、 半導体産業への従事者は6,000人から27,000人にまで増大。サンフランシスコ半島の半導体産業は飛躍的に成長を遂げます。

そして1970年代半ばにはついに「シリコンバレー」と呼称されるようになります。

6 シリコンバレーの現状や課題

魅力の多いシリコンバレー。日本とはかなり様々な環境が異なります。ここからはシリコンバレーの現状をご紹介していきます。

6-1 高い平均年収

日本とのわかりやすい大きな違いとしては平均年収の高さがあげられるでしょう。

シリコンバレーに住んでいる年収4,000万円を超える75人が「自分の年収は中流よりも少し上」と回答。一方で、年収4,000万円を高級取りと回答したのはわずか「4人」のみ。日本では十分にハイクラスと言える年収であり、かつアメリカの平均年収から考えても十分にハイクラスであると言える。

Silicon Valley is so expensive that people who make $400,000 a year think they are middle-class

アメリカや日本においても平均以上の年収であってもシリコンバレーにおいては「年収4,000万円が中流」というイメージなようです。なぜこのような認識になってしまうのでしょうか?

一番の原因は「不動産価格の上昇」が大きいでしょう。Googleなどの企業が拠点を構える地域では「ワンルーム50万円」という価格は珍しくありません。

ワンルームで50万円なので、年収1,000万円の層であれば最低でも「年収の半分以上」が家賃として消えてしまいます。

しかし高級取りの人口が非常に多いため、家賃が高くても入居する人がたくさんいる状況になっており、なかなか不動産価格が下がらないということにもなってしまっているようです。

6-2 人口の増加

近年では、シリコンバレーにアメリカや研究所の拠点を置く企業が年々増加しているようです。アジアからもシリコンバレーに拠点を作った企業としては「サムスン」「日立」などが挙げられます。

アメリカ国内からも当然たくさんの企業や人材がシリコンバレーに流れてきている一方、流動性の高くない不動産の供給が需要に追いついていない状況が発生しています。

様々なIT企業が世界中で生まれている中で、シリコンバレーへの進出を見据えている企業も多くあるでしょう。ベンチャー、スタートアップ関係の需要は増加していくと考えられるため、同時にシリコンバレーへの進出は減ることは考えにくいでしょう。

6-3 なかなか進めにくい不動産開発

シリコンバレーのように需要が供給を上回っており、不動産価格が上昇しているような地域は、不動産開発が進み不動産自体の絶対数が増えていきます。それによって不動産価格が落ち着く事が一般的です。

対してシリコンバレーは不動産価格が上昇を続けています。これの最も大きな要因は「不動産開発が難しい」という点だと考えられます。

シリコンバレーが位置している「サンフランシスコの不動産開発」には、

  • 土地が限られていること
  • 都市計画に関連する規制が厳格であること
  • 建築に関しての規制が厳格であること

という3つの特徴があります。これによりシリコンバレーは「不動産開発を行いにくい状況に立たされてしまっています。

しかし、この点に関しては規制緩和の流れも発生しているようです。

当然ながら昔からシリコンバレーに住んでいた住民の不満の声が高まっていることをはじめとし、シリコンバレーのみ異常に不動産価格が上昇し、住民の生活が難しくなっている事が問題として取り上げられています。

加えてシリコンバレー周辺の地域での不動産開発も進んでおり、シリコンバレーで働いている層が郊外に移り住む流れも散見されているようです。ですが依然としてシリコンバレーの不動産価格は上昇を続けているため、その周辺地域も上昇傾向にあります。

まとめ

いかがでしたか?今回はスタンフォード大学との歴史や現状の不動産状況なども含め、シリコンバレーに関してご紹介してきました。

今後も様々な企業が進出し、たくさんのイノベーションが発生する可能性の高いシリコンバレーのベンチャー、スタートアップ情報は随時キャッチアップしていきたいですね。

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